世界の分布 |
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松本人志のラジオをニコニコ動画で聞いていたのだけど、
その中で24時間テレビで病気の男の子が出てた話になった。
その男の子は今は元気だけど大変な重い病気にかかっていて、
その子のお兄ちゃんは、同じ病気で亡くなっている。
その弟くんにはドナーが見つかって手術を受ける事になるんだけど、
そのときにお母さんが、その弟くんに、「あなたもお兄ちゃんと同じ病気なの」
と伝える場面が放映されたと言っていた。つまり死の宣告だ。
イチゴを食べながら聞いてたその子の手が止まる瞬間とか、
ラジオながら、リアルに映像が見えて、ぞっとした。
そんなのその子に伝える必要があったのか。
また、あるとしても、それをカメラの前でやる必要がどこにあるのかと。
なんかこういう事をエンターテイメントにしてしまえる事の非道さ。
多くの人は気づかないのだろうな、と思っていた。今までは。
でも、松本人志も、ニコニコの人たちも、僕の友人も、その非道さを理解している。
そしてたぶんここの人たちも。
じゃあその周到に用意された感動ストーリーを喜んでいる人たちはどこにいるのか。
あれをみた何割の人が感動して、何割の人が酷さに憤るのか。
世界の分布がもう分からない。
何対何か、数字で教えてください。
死を超える方法 |
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死を超える方法をついに見つけてしまった。いや、輪廻転生とかじゃなくてね。
死が不思議だと、答える人は多い。自分がどこにもいなくなってしまうなんて考えられない、と。
そんな人に、僕は常々言っていた。そんなものは睡眠と同じじゃないかって。
夢を見ていない時の眠り、そのときに君は、どこへ行っているのだと。
この世界のどこにもいない。毎晩君は、死んでいるのと変わらない。
では、死と、睡眠は、何が違うのだろう。なぜ人は死を恐れ、睡眠は恐れないのだろう。
それは、明日がある事を、信じているかどうかだ。
人は眠りにつく前、明日がある事を当たり前のように信じている。だから、眠りを恐れない。
つまり、死を恐れないためには、死ぬ最後の瞬間まで、明日を信じればいい。
明日の朝、うまいもの食おう、ってね。明日を楽しみに生きる事、それが死を超える唯一の方法。
「たとえ明日世界が滅びるとも、今日わたしはリンゴの木を植える」
と言ったのはマルティンルターという人らしいけど、
たぶんこのじいさんは、この事をとてもよく分かっていたんだと思う。
じいさんかどうかは知らない。イメージ。